礼拝説教要旨
息子を見つけた父
私たちはしばしば「父」に対して、恐れや否定的な印象を抱きます。しかし聖書が示す父とは、人を支配する存在ではなく、正しい道を示し、愛をもって導く存在です。神の御言葉は時に厳しく罪を示しますが、それによって私たちは人生の方向を見失わず、安心して歩むことができます。
放蕩息子は父のもとを離れ、財産を持って都会へ出ました。しかし快楽に溺れて財産を使い果たし、飢饉の中で豚の世話をするほどのどん底に落ちます。その苦しみの中で彼は我に返り、父の家では雇い人でさえ十分に養われていたことを思い出しました。そして、自分が父の本当の姿を知らなかったことに気づきます。
息子は罪を悔い改め、「もう息子と呼ばれる資格はない」と思いながら父のもとへ帰ります。しかし父は、息子が帰ってくる日を待ち続けていました。遠くに息子の姿を見つけると、自ら駆け寄り、抱きしめ、喜んで迎えます。そして良い服を着せ、指輪をはめ、履物を与えて、「お前は今も私の息子だ」と示したのです。
このたとえは、「息子が父を見つけた話」ではなく、「父が息子を見つけた話」です。父なる神は、私たちが神を求める前から私たちを見つめ、帰って来ることを待っておられます。どれほど神から離れていても、悔い改めて立ち返る者を神は喜んで受け入れ、家族として迎えてくださいます。
イエス様が「アッバ(お父さん)」と呼ばれたように、神は恐れるべき存在ではなく、信頼し愛することのできる父です。私たちは恐れずに神のもとへ帰り、その導きの中にある真の喜びと平和を見いだして歩む者とされているのです。